第49回大会のお知らせ

お待たせしております第49回大会の詳細につきましてお知らせいたします。告知が大会の間際になってしまったことをお詫び申し上げます。

川端康成学会 第 49 回大会
「関東大震災 100 年—川端康成と〈震災後文学〉の地平」
日時 8月 27 日(日)13:00 より
場所 昭和女子大学 8号館 5階 44教室

*開催趣旨
 本年(2023年)は大正 12年(1923年)9月1日に起きた関東大震災からちょうど 100年の節目にあたっている。地震大国としての日本では、その後も阪神・淡路大震災(1995年)、東日本大震災(2011年)と呼称される二つの大きな地震に見舞われ、新潟中越地震(2004年)、熊本地震(2016年)なども未だ人々の記憶に新しい。
 そのため、文学作品においても上記に限ったことではないが、震災に材を得た(東日本大震災においては東京電力福島第一原発事故も含めた)作品は多く書き継がれてきた。そうした文学作品として、村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』(新潮社、2000・2)がすぐに想起されるが、近年では、たとえば第157 回芥川賞を受賞し、映画化もされた沼田真佑「影裏」(『文学界』2017・5)や、同じく第168 回芥川賞を受賞した佐藤厚志「荒地の家族」(『新潮』2022・12)なども東日本大震災、とりわけその〈災後〉を描いた作品として高い評価を得た。
 他方で研究の領野でも、〈災後〉を描く文学のカテゴリーを〈震災後文学〉とゆるやかに規定し、作家それぞれのアプローチの方法や、PTSDといった心的問題、そしてその〈出来事〉の表象可能性/不可能性を探る営みは続けられてきている。もちろんそこには社会変革の意志や人々の連帯可能性、具体性をもったケアの在り方、事象の風化とともに訪れる記憶/忘却をめぐるテーマなども込められていることは言うまでもないだろう。その成果として、木村朗子『震災後文学論―あたらしい日本文学のために―』(青土社、2013・11)が筆頭に上がるが、その後も限界研編『東日本大震災後文学論』(南雲堂、2017・3)など陸続と多くの人々を巻き込み研究が積み重ねられてきた。続編である木村朗子『その後の震災後文学論』 (青土社、2018・1)が上梓されたこともそれを物語っていよう。
 その上で、川端康成の、なかんずく川端文学の〈災後〉とはいかなるものだったのであろうか。川端は 25歳の時、東京帝大内で被災した後、燃え上がる上野公園や浅草を目にし、数日後に芥川龍之介・今東光とともに池に浮かぶ多くの死体を見に行ったことが記されており(「文科生の頃」、『若草』1931・9)、物理的な被害はほとんどなかったとはいえ、紛れもなく〈被災者〉の一人であった。さらには「時事新報」に震災後わずか一か月あまりで「余燼文芸の作品」という、〈震災後文学論〉を6回にわたり連載していることも現在の地点から改めて注目される必要があろう。もちろん、川端自身のそうした被災体験は、浅草をはじめ、めざましく復興する都市の景観とともに、形を変えて後の作品群にも多大な影響を及ぼしたであろうことは疑い得ない。
 本企画では、〈震災後文学〉研究が切り拓いてきた地平を見据えた上で、川端文学を現代へと開き、また読み替えていく一つのアプローチとして、関東大震災に改めて光を当ててみたい。それはすなわち、川端の震災体験、そして彼の〈震災後文学〉を多角的な見地から検討することを通じて、それぞれ固有の〈災後〉を生きる我々との間に新たな回路を敷設する試みでもある。

【発表者】
*仁平政人(東北大学・川端康成学会理事)
「川端康成と関東大震災後の前衛主義 ―〈万物一如・輪廻転生〉言説再考―」
*木村朗子(津田塾大学)
「震災後文学として川端作品を読む」
*前田潤(室蘭工業大学)
「災害ーそのストレスと回復の現在」

司会 青木言葉
閉会の辞 片山倫太郎


*新型コロナウイルス感染症の位置付けが5類感染症に移行しましたが、オンラインでの参加形態はしばらくの間、維持したいと思います。オンラインで参加される方は、各自で参加できる環境を整えておいてください。URL、ID、パスワードは後日配信いたしますので、連絡可能なメールアドレスを事務局長・内田裕太(kawabatagakkai@gmail.com)までお知らせください。
*当日受付にて、参加費500円を頂きます。ご了承ください。
*当日受付にて、年会費の納入をお受けします。併せて、維持会費もよろしくお願いいたします。
*当日はスケジュールの都合により、理事会は開催いたしません。理事の皆さまにおかれましては別途メール審議のご連絡を差し上げますのでご承知おきのほど、宜しくお願いいたします。
* 例 会 で の 研 究 発 表 希 望 者 を 随 時 募 集 し て お り ま す 。 ご 希 望 の 方 は 事 務 局 長 ・ 内 田 裕 太(kawabatagakkai@gmail.com)までご一報いただけましたら幸いです。
*会員の皆様には「年報」36号(2021年)までのバックナンバーを送料込み1部500円で販売致します。最新号前号は会員価格 2,000円で販売致します。なお、在庫切れの号もありますので、詳細は事務局長・内田裕太(kawabatagakkai@gmail.com)まで、お問い合わせ下さい。
*例会についてのお問い合わせは下記にお願いいたします。
 川端康成学会事務局
 〒230-8501 横浜市鶴見区鶴見2-1-3 鶴見大学6号館 鶴見大学文学部片山倫太郎研究室
メール:kawabatagakkai@gmail.com


【発表要旨】
*仁平政人(東北大学・川端康成学会理事)
「川端康成と関東大震災後の前衛主義 ―〈万物一如・輪廻転生〉言説再考―」
 首都・東京を中心として壊滅的な被害をもたらした関東大震災は、一方ではしばしば既存の社会や文化、価値観などからの切断・解放の契機のようにも捉えられていた。こうした状況と対応して、震災後においては前衛芸術を追求する動きが多様に生じていく。震災を「新文芸の起点となる」と位置づけ、既成の文学から切断された「新しい文芸」を積極的に唱えた初発期の川端康成もまた、震災後の前衛主義者のひとりであったと言えるだろう。そして小説「空に動く灯」(一九二四・五)をはじめとして、川端が繰り返し呈示した所謂「万物一如・輪廻
転生思想」的な言説は、一面でこうした前衛主義的な立場と結びつくものであったと見られる。羽鳥一英(徹哉)氏の指摘以降、これらの言説群は研究史において、川端の思想を端的に示すものとして重視されてきた。だが、そのような研究史上の定見は、それらの言説が持つ同時代性や複数性、またその小説テクスト内における位置・働きを見失うことにもつながっていたのではないか。本発表では、川端の〈万物一如・輪廻転生〉的な言説を大正期のコンテクストの中で多角的に捉え直すとともに、「空に動く灯」および「孤児の感情」(一九二五・二)などの検討を通して、その小説テクストにおける位相や方法的な意義について考察を試みる。

*木村朗子
「震災後文学として川端作品を読む」
 川端康成の関東大震災をめぐる文章を読んでいると、あまりに屈託がなくて驚く。東日本大震災後の文学には少なくともこんな表現はなかった。
 「芥川龍之介氏と吉原」によれば、川端は芥川龍之介と今東光と吉原の被災をみにいき、それを「見た者だけが信じる恐ろしい「地獄絵」」だと書いている。そしてその光景を芥川龍之介は自殺を決意したときに必ずや思い出しただろうという。川端が関東大震災でみた大量死の光景は 2011年3月11日の東日本大震災の津波の被災地にもくり返された。しかしそれは報道からはもとより表現の上でも忌避された。
 関東大震災から百年がたって、いま関東大震災の痕跡を関東地方にみることはできるだろうか。2013年に『震災後文学論』を出したとき、原発事故の被災地の復興は向こう三十年はかなわないだろうが、地震、津波の被災はすぐにも復興するだろうと考えていた。しかし復興とはなにを意味していたのだろうといまは思う。
 本発表では、東日本大震災から十余年を経ての文学の状況をみながら、川端康成が戦後に刊行した『富士の初雪』(1958)所収の、「富士の初雪」(1952)、「無言」(1953)を震災後文学として読んでみたい。

*前田潤「災害ーそのストレスと回復の現在」
 前田氏からは、専門領域である臨床心理学・災害心理学の実践的な見地からご講演いただく予定です。


【会場】昭和女子大学8号館5階44教室 (〒154―8533 世田谷区太子堂1―7―57)
【アクセス】*地下鉄:東急田園都市線(半蔵門線直通)「三軒茶屋」駅下車徒歩7分
*バス
●渋谷駅から下記方面行きを利用し、「昭和女子大」下車(上町・等々力・田園調布・弦巻営業所・二子玉川・高津営業所・成城学園・祖師谷大蔵・狛江・調布)
●目黒駅・祐天寺駅から三軒茶屋行きを利用し、「三軒茶屋」下車
●下北沢駅から駒沢陸橋行きを利用し、「三軒茶屋」下車

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