川端康成学会 第190回例会
日時 2024年 8月31日(土)14:00より場所 鶴見大学 1号館4階401教室
台風接近によりオンライン開催に変更いたします。
参加される方はURL、ID、パスワードを後日配信いたしますので、連絡可能なメールアドレスを事務局長・青木言葉(kawabatagakkai@gmail.com)までお知らせください。
研究発表
*馮 思途(早稲田大学文学研究科博士後期課程)
「憑依する「家」――川端康成の初期活動を再考する」
*汪 星(東北大学大学院文学研究科)
「川端康成「高原」論―多文化空間としての軽井沢を中心に 」
閉会の辞 片山倫太郎
*大変恐縮ながら、文書による例会案内、年報39号の発送は8月6日以降です。会員の皆さまは、到着まで今しばらくお待ちください。
*新型コロナウイルス感染症の位置付けが5類感染症に移行しましたが、オンラインでの参加形態はしばらくの間、維持したいと思います。オンラインで参加される方は、各自で参加できる環境を整えておいてください。URL、ID、パスワードは後日配信いたしますので、連絡可能なメールアドレスを事務局長・青木言葉(kawabatagakkai@gmail.com)までお知らせください。
*当日受付にて、参加費500円を頂きます。ご了承ください。
*当日受付にて、年会費の納入をお受けします。併せて、維持会費もよろしくお願いいたします。
*当日、12時半より1号館4階408教室にて理事会を対面とオンラインにて開催いたします。常任理事の皆様はお集まりください。
*例会での研究発表希望者を随時募集しております。ご希望の方は事務局長・青木言葉(kawabatagakkai@gmail.com)までご一報いただけましたら幸いです。
*会員の皆様には「年報」37号(2022年)までのバックナンバーを送料込み1部500円で販売致します。最新号と前号は会員価格2,000円で販売致します。なお、在庫切れの号もありますので、詳細は事務局長・青木言葉(kawabatagakkai@gmail.com)まで、お問い合わせ下さい。
*例会についてのお問い合わせは下記にお願いいたします。
川端康成学会事務局
〒230-8501
横浜市鶴見区鶴見2-1-3 鶴見大学6号館 鶴見大学文学部片山倫太郎研究室
メール:kawabatagakkai@gmail.com
【発表要旨】
*馮 思途「憑依する「家」――川端康成の初期活動を再考する」
本発表では、川端康成の少年期に立ち戻り、日記、書簡をはじめとする資料を改めて考察することにより、上京前後の川端康成の言動に憑依し続ける「家」の問題を照射することを目的とする。まず、個人の内面として処理された川端康成の「孤児」の言説を、「家」との関係性の中において再検討し、作家の主体性の形成に寄与していた「家」の特徴を浮き彫りにする。次に、川端康成の言語観の中核を担う「遺産」という概念を注目し、「遺産」の内実が「家」の影響によって生まれたことを、彼の評論への精査を通じて解明し、「新感覚派」の一員として活躍していた川端康成の諸活動を解釈する新たな視点を提示する。以上の考察を踏まえ、「ちよ」(一九一九・六)という初期創作を取り上げて分析を行う。さらに、一九二〇年代以降の小説作品に織り込まれた「家」のモチーフについて指摘し、伝記研究とモダニズム研究によって二分化されてしまった川端康成の初期活動における連続性を取り出すことを試みる。
*汪 星「川端康成「高原」論―多文化空間としての軽井沢を中心に 」
川端康成の作品「高原」において、軽井沢は単なる避暑地であるにとどまらず、複数の文化が交差する特異な空間として描かれている。また、戦争の影響を相対的に受け にくい空間として描かれており、川端はこの避暑地を通じて、登場人物が戦争による 不安や混乱から一時的に逃れつつも、その影響が内面にいかに浸透しているかを巧み に描いている。従来の研究では、軽井沢という土地が、日本の伝統的な風土と西洋文化の影響を受けた独特の環境であることが指摘されるとともに、二項対立的な視点のもとで論じられることが多い。しかし、軽井沢の空間設定は、登場人物、特に主人公 の須田の内面的な動揺や変化に深く関与し、単なる西洋と日本の二項対立に収まらな い側面を持っている。軽井沢には、西洋人、日本人、混血児が混在しており、この人種的・文化的な多様性を含む環境が須田の内面的な動揺を促すものとして機能してい る。須田は、洋子や混血児といった他者の関係を通して内面が揺さぶられ、異文化との接触を通して自身の文化的融合性について考えさせられるという過程を経験する。こうした須田の内面の動きを捉える上で、これまであまり注目されてこなかった須田の女性への眼差しの流動的な動きに目を向けることが必要であるだろう。本発表では、 須田の女性への眼差しを考察することによって、「高原」における軽井沢という多文化空間が持つ文学的意義と機能を明らかにしたい。