会長挨拶

小さな会の大きな志

                   第四代会長  羽鳥徹哉

 川端文学研究会も、日本学術会議の登録団体になる資格があるのではないのですかと、最初におっしゃって下さったのは、銀の鈴社の西野真由美さんではなかったかと思う。それを受けて、面倒な申請書類を精力的に揃えて下さったのが、前事務局長の田村充正さんだった。その結果、昨年9月、川端文学研究会は、日本学術会議の登録学術研究団体ということになった。
日本学術会議というのは、「日本学術会議法」(昭和二三年七月十日成立)に基づいて昭和二十四年一月に設立された、日本の学者たちの意見を集約するための機関である。この会議に登録されている「登録学術研究団体」は、昨年の段階で千三百五十六団体で、そこに所属する研究者の数は、延べ七十三万人である。その中から二百十人の「会員」が選ばれ、その人たちの出席によって会議が開かれ、さまざまな問題が審議される。
さまざまな問題とはどういう問題かというと、日本学術会議法の前文に「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される。」とあるので、そういうことに関係した問題である。具体的には、科学振興のための助成金、補助金等が政府から出るのでその配分を考えるという実際的な問題に始まって、政府の学術関係の諮問に対して答申を出したり、学術面で政府に対して勧告、要望すべきことを審議したりするのである。日本学術会議がこれまで政府に勧告、要望したことは、原子力平和利用のあり方、公文書散逸防止について、学術分野における国際貢献の意義等々、数多くあるということである。
さて、川端文学研究会が、登録学術研究団体になったとはいっても、何しろ千三百五十いくつかの中の一つなのだから、まあ微々たるものである。この千三百五十いくつかの団体は七つの部門に分けられている。第一部、文学、哲学、教育学、心理学、社会学、史学、第二部、法律学、政治学、第三部、経済学、商学、経営学、第四部、理学、第五部、工学、第六部、農学、第七部、医学、歯学、薬学、といったところである。私たちの会は、第一部門の中の「語学・文学」という分野に所属している。二百十人の「会員」は、この各部門の各分野にそれぞれ定員が割り当てられているが、「語学・文学」の分野の「会員」の定員は五名である。中西進、平岡敏夫、柴田翔などの皆さんが、現在この「語学・文学」の分野からの「会員」として会議に出席していらっしゃる。われわれも何か言いたいことがあったら、この先生方を通じて言えばいいということになるのだが、実際には難しいというのが本当のところであろう。
しかし、直接、直ぐにわれわれの意見が政府を動かすなどということは困難としたところで、われわれの会のあり方が、何らかの形で政府を動かし、世界を動かすことに関わりを持っているということは意識しておいてもよろしいかと思われる。
世界との関りということになると、川端文学研究会は、小さい割には、活動範囲が広い。海外会員がかなりな数に上り、これまでに中国の学者とのシンポジウムを五回、ロシアの学者とのシンポジウムを二回催している。一九九九年には、『世界の中の川端文学』(おうふう)という本が出ているし、毎年一冊ずつ出る年報『川端文学への視界』には、韓国、中国、フランス、ドイツ、ブラジルなどの研究者による研究展望がいつも載る。昨年、川端文学研究会が登録学術研究団体として認められるに当たっては、右のようなことも高い評価の理由になったらしい。先の「日本学術会議法」の前文に「人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし」とあったように、日本学術会議は、「人類」とか「世界」とかの視野を大いに尊重している。今まで、川端文学研究会は、日本学術会議のことなど全く意識しないで活動を続けてきたが、その活動の方向は、この会議が目指していたものと、期せずして同じものであったということが出来る。
さて、これからの川端文学研究会であるが、別にこれまでと変わったことをする必要もないだろう。これまでの歩みを、これからもたゆまずに推し進めていけばそれでよろしいと思われる。文学を通じて、世界人類が一つになる方向を探る、文学という人の心のもっともひそやかなところに発するものが、実はもっとも正しい社会性の根源として働く、こうした考え方は、川端さんが生涯、特に戦後、揺らぐことなく保ち続けていた信念だった。川端文学研究会は、川端文学を分析解剖し、その性質を明らかにするとともに、もし不足や偏向があればそれを訂正し、批判すべきは批判していく会である。しかし、右のような川端さんの信念については、当分の間、そのまま引き継いで行って全く差し支えないと言えるだろう。
つまり私たちは、これまでも、川端文学を通じて、人の心の微細に分け入りながら、同時に、世界や人類や宇宙のことを忘れたことはなかった。小さな会の大きな志である。